確か20年ほど前のことだと思う。
月間の建築雑誌を毎月楽しみに読んでいた頃
谷崎潤一郎の陰翳礼讃についての特集をしていて
その雑誌の影響でその本を読んだことがある。
ちょうど茶道を習い始めたこともあり
使っていたお棗に螺鈿が入っていたので
暗闇にろうそく一本を置いて火をともし
そのそばに螺鈿入りのお棗を置いて
炎の揺らぎにあわせて螺鈿の輝きが変化する様を観察したことがある。
むかしむかしの日本人になって
つかの間の美しさを体験したのだった。
焚き火の炎をいつまでも見ていられるというのと同じように
この輝くゆれる色が心に焼きついた。
今朝、YouTubeにたまたま谷崎の陰翳礼讃に関するNHKの動画があって見てみた。
そうそう、厠(かわや)と谷崎の本には書いてあったけれど
トイレに関することが、とても興味深かった。
昔のトイレは家の外にあったりした。
私の母の実家が青森にあり、私が小学生になる前の話だが
その頃、まさに家の外にトイレの小屋があり
夜中にトイレに行く時は真っ暗な中、母を起こして一緒にトイレに付き合って行ってもらったことを思い出した。
田舎なので外はもう真っ暗で、トイレに行くのに懐中電灯なしではいけないほどの暗さなのだ。
足元を灯でともさなければ、トイレの穴にも落ちてしまうほどなのだ。
夜中にトイレに行くのが嫌なので実家に行くことが嫌だった。
そう、それで気がついたのが私のキャンプ嫌いのことだ。
キャンプも夜中にトイレに行くのが怖くて嫌だから行きたくないのだ。
もしかしたら、子供のころのトイレ体験があってのキャンプ嫌いなのかなぁと思ったのである。
ちょっと話はずれてしまったが
陰翳礼讃を読んでから、光と影に敏感になったように思う。
もしも日本が明治あたりからずっと鎖国をしていて海外との交わりがなかったとしたら
独特な家電製品が出来ていただろうなぁとか
いろいろ思い、想像するのである。
この動画に建築家の安藤忠雄が陰翳礼讃について語っている中で
彼が言っていた言葉でいいなぁと思ったのがこれ。
不便さの中に豊かさがある。
考えさせられるけれど、ポイントをついているなぁと思ったのである。
動画はこちら
NHK WORLD JAPAN
TANIZAKI JUNICHIRO on Japanese Aesthetics in Praise of Shadows