ヒヤシンスの生きる道


このヒヤシンス、私が育てたわけではない。
先週末、あまりにも荒れた我が家のベランダが気になって
落ち葉などの掃き掃除をしていたのだ。
もう、枯れてしまった植物の鉢などを重ねていた日の当たらない角っこも
積み上げられた鉢をどかさないと、全体的にきれいにならないと思い
それらを持ち上げてみた、、、
軽いプラスチックの鉢を持ち上げたら、なんとそこにもう花を満開にした
ヒヤシンスが咲いていたのだ。
そうそう、以前日本のニュースで道路のアスファルトのわずかに残った土のところから
植物が生えてきて、ど根性◯◯とその植物の名前をど根性の後につけて名付けられていたけれど、
我が家のこのヒヤシンスもかなりの根性の持ち主だ。

一生懸命、手をかけて咲きますようにと祈りながら育てても
花がそれほど咲かなかったりするというのに
ほっぽいておいたヒヤシンスがこんなに花をつけたことは嬉しいけれど
ショックでもあった。
私のお世話は必要なかったのね。さびしい。自然への嫉妬?
でもでも、自然の力ってとてつもなくすごいものだなぁとも思った。
自然は無敵。そして尊敬でありまする。

こちらは先日の満月の二日前のお月様
光り輝いていて、まわりに輪っかができていた。
かすかにだけれど見えるだろうか?

バルセロナの郊外の町でブティファラ祭り


一昨日、昨日とわが町ラ・ガリーガLa Garrigaでお祭りがあった。
その名はFira de la Botifarraブティファラ祭りだ。

ブティファラとは、日本でいうソーセージのことだ。

カタルーニャのお祭りといえば、ジャンボな人形がほぼ登場する。
中に人が入るタイプのもので、ヒガンテと呼ばれている。
このヒガンテちゃんは腕にブティファラを下げていて
奥さんヒガンテも実は後ろにいるのだ。
そして町の広場で音楽隊が奏でるカタルーニャ民謡の音楽に合わせて踊るのだ。
見事なステップであった。
身長、6メートルほどはあるだろうか。
この中に入って踊るのは、相当つらい仕事だと思う。

この日は町にある肉屋さんが全店集まり
通りに出店を出して販売していた。
我が家の行きつけの肉屋さんは、2022年度カタルーニャ州のブティファラコンテストで
なんと優勝を獲得したお店なのだ。
これは、とっても大きな自慢なのである。
そんなお店がすぐ近所だなんて、嬉しすぎる。

通りには、ブティファラを使った食べる出店も5、6店舗ほど出ていて
広場に並べられたたくさんのテーブルや椅子にはお客さんがいっぱいだった。

この町La Garrigaラ・ガリーガからVicヴィックのあたりでは
ブティファラが有名なので
ぜひ、訪れた際には食べて欲しいなぁと思っている。


バルセロナの燃え萌えな空


先週の金曜日の空である。
夕方の空。
リビングの窓からの色彩がなんだかいつもより
強烈に赤く感じられ、ふと視線を空の方にうつしてみたら
燃えているように熱い色になっていたのだ。
夫も一緒にベランダに出て
二人で片手にスマホを持って写真を何度も何枚も撮ったのである。
自然ってほんとにすごいわ。
想像以上のことをやってくれてしまうのだから。

自然は時に怖くもあり、
自然は時に美しい。

そういえば、去年の10月のブログ
10ユーロを払って、電車が無料で乗れるチケットを買ったことを書いたが
実は、10ユーロはデポジットで、1月15日以降にカタルーニャ広場の窓口へ行けば
支払ったお金が戻ってくると知り、そこへ行って10ユーロが戻ってきたのだ。
嬉しい。ちょっと得した気分になっている。
いや、無料で乗れること自体がお得なのだけれどね。
この国の政策は去年の年末までだったのだけれど
延長されて1月にもう一度10ユーロのデポジットを払って無料で乗れるチケットを買い
とりあえず4月末まで有効だ。
どこへ行こうかな〜、降りたことのない駅でいろんな町を巡ってみたい。
素敵な町や知らない町ってワクワクするよねぇ。


ラテンアメリカの書籍を扱う本屋さん

去年、MACBAの美術館裏のあたりを散歩していたら
偶然みつけたかくれが的な本屋さん。
ラテンアメリカの書籍などを主に扱っていて
中に入るといろんな色彩を放っている表紙がとっても魅力的で
ちょっと立ち寄るだけだったのに
夢中になってしまい、なんと1時間ほどもここであれこれ見てしまったのだ。

ラテンアメリカ文学といえば
百年の孤独で知られるガルシアマルケスや
昔、映画で話題になった 愛と精霊の家のイザベルアジェンデが有名だ。
この二人ともだけれどラテンアメリカ文学って
見えない何かが、不思議なものが存在している物語が多いなぁと思う。
そこが魅力的なのだけれど
家族の歴史とか父や母、お兄さん、お姉さん、弟、妹など
それぞれの性格なども強烈に独特な人が多いとも感じる。
スペイン文学ははっきり言ってよくわからないけれど
ラテンアメリカ文学はなんだか惹きつけられるのだ。

興味がある方はぜひ行ってみてほしいなぁ。

詳しい情報はこちら
Lata Peinada (ラタペイナーダ)
場所の地図はLata Peinadaのホームページ内に有り

一月にはオリオン座

我が家にある、この窓からの眺めが大好きだ。
階段を上がっていくと、真っ先にこの四角い窓から色彩が目に飛び込んでくる。
自然は想像もしない空模様を映し出し
私にその感動を与えてくれる。
ほんとに毎回、毎度、美しい色を放っている。

夜、寝る前に熟睡できるというタイトルのついたYouTubeのヨガをしている。
年のせいか眠りが浅く疲れがとれないので、
これで解消できるか?とやっているのだが。
この窓の向かいにコンピュータがあるので
そのため、窓の近くでヨガをしている。
マットをひいて息をすって〜、はいて〜と寝っ転がってやっていると
窓から大きなオリオン座がちょうど見えるのだ。

オリオンさん、外、寒いよね。
オリオンさん、私もがんばってるよ〜。
なんて具合にちょっと心の中で話し掛けつつ
オリオンさんのベルトの三つ星に見とれて
すって、はいてを繰り返す私なのであった。

陶芸作品ぞくぞくと集まる


去年の12月から知り合いのお引っ越しの手伝いをしている。
バルセロナで暮らす夫のことを長く知る人で
14年ほど前に夫が日本に戻ることになった時、泣く泣く手放したものを引き取ってくれた人でもある。
そうして日本に戻った夫だったが、結局その後
彼はいろいろな理由でバルセロナに半年後くらいに戻ることになり
途中から私も一緒に住み始め、今にいたっているのだ。

その方のお引っ越しの手伝いで
書類を破いて捨てたり、いるものいらないものの選別をして
いらないものをまとめて捨てたり
様々なものの断捨離のお手伝い。
人のものだが、ものを捨てるというのは結構なストレス発散にもなるものだと思った。
書類の正体がわからない程度に
ビリビリ破くこの行為。
かなり気持ちがいい。
もしモヤモヤがたまっていたなら
これをすることをオススメする。

このお宅にはとにかく日本の本がたくさんあって
その中でも日本語の参考書がずらりと揃っている。
そのいらない本の中に夫が好きな寺山修司の本が10冊ほどあったので
もらって帰ってきた。
まっさきに夫にそれを見せると
なんと、それは泣く泣く手放した夫の本だということがわかった。
十数年の年月を経て、本人のところに戻ってきたのだ。

それから、写真の陶芸作品もそのひとつだが
バルセロナに住み始めた頃に習っていた陶芸。
その作品もこのお宅でたくさん発掘?されて出てきたのだ。
続々と出てきた作品で、我が家の隙間だらけだった戸棚が今、満杯になりつつあるところ。

夫の手作りはどれも味のあるもので
私としてはとても気に入っている。
シンプルなものだけれど上の写真のは香炉だそうで
上のへこんだところに香りのするアロマオイルなどをいれ
四角の台の中に入るくらいの小さなキャンドルをいれ
オイルを温めて香りを出すしくみ。
四面に点々とあけられた穴からはキャンドルの明かりがもれ
素敵な照明にもなるというすぐれものだ。

陶芸作品はそのほか、お皿や花瓶、お茶碗、徳利など多数あり
これが、なかなかの腕前なのである。

Montserratモンセラで初日の出


2023年 あけましておめでとうございます。

我が家から車で1時間ほどのところにある
Montserratモンセラに初日の出を見に行ってきたのだ。
ヨーロッパは日本と比べると日の出が遅いので
そんなに早起きして気合をいれなくても見に行けるのがいい。
この日の日の出は朝の8時22分だったと思う。
少しずつ太陽の頭が出てきて、どんどん輝きが増してくるこの世界は神秘的で、
燃えるような太陽の存在がどんなにありがたいことなのか
あらためて感じることができたような気がする。

実は私にとってこれが初の初日の出を見るという日だった。


その後、夫と修道院の方へ行き
教会内にある、黒いマリアさまのところで
お願い事を。
まさにこれは日本でいう初詣?的なことを体験したのだ。
マリアさまにお願いをしていると、崇高なパイプオルガンの音楽が聴こえてきた。
そう、ラッキーなことに生のパイプオルガンの演奏が始まり出したのだ。
その時間、朝の9時頃。

それからしばらくの間、教会内の椅子に座り
静かな空間の中でパイプオルガンの音だけが鳴り響く、その音楽を
からだ全部で感じ取るように聴き、
清められたような時間だった。

一年のこの最初の日
すべり出しはなんだかとってもいいぞ〜
ぜひ、来年も行ってみたいと思っているのだ。

とにかくオススメな元旦の過ごし方である。

写真右手にパイプオルガン奏者が。
元旦のこの時間は教会内は人がちらほらいる程度、黒いマリアさまへの道のりも人が並んでいなかった。

イカロス出版から出した、バルセロナのガイドブック『心おどるバルセロナへ 最新版』でも
Montserratモンセラを紹介し、私のおすすめの場所も写真と一緒にかいてあるので
ご興味のあるかたはご覧んくださいませ。

エル・コルテ・イングレスでお買い物


グラシア通りのクリスマス・イルミネーションもとっても素敵ですが
バルセロナのデパート。エル・コルテ・イングレスの横の通りも
この写真のようにエレガントで、歩いていて気分が上がってしまうほど。
思わず、スキップでもしたくなるくらい。

観光ではあまりスポットライトが当たっていないように思う
このデパート。
私は実はとっても大好きなのだ。
まずは、地下にある食品売り場。
郊外に住んでいるとオーガニックのものは手に入れやすいけれど
それ以外の商品は置いてある品数たるや、それはもう見たことがないものが多くて
あっちキョロキョロこっちキョロキョロの世界。
パッケージが洗練されていてデザインに魅了されっぱなしなのだ。
レジを出て少し歩けば、グルメコーナーがあって
どれもが美味しそうに並んでいる。
Baluardバルアルドのおいしいパンもあるし、El Magnificoのコーヒーも売っているから
買い忘れた時はここで買うべしなのだ。

上の階で料理関係のコーナーを見るのが好きで
時間があれば、つい行ってしまうのだ。
買わなくても、とにかく私は見るのが好き。
エプロンとかも素敵なデザインなのに、お手頃値段で買えるし
スペイン語が描かれたりしていたら
お土産なんかにもいいなぁと思ってチェックしている。
ランチョンマットやフキンなんかも欲しいと思えるデザインが多いのだ。
このフロアーの上にはタオルコーナーもあったりして
タオルもいい感じのものがいろいろあるのだよ。

ぜひ、のんびりゆっくりデパートを満喫してほしいわ。

それでは、良いお年を!

バルセロナで骨董めぐりならここがいい


もし、観光でバルセロナの骨董を見たいなら、ここMercanticメルカンティックが良いと思う。
私がよく行く月に一度の骨董市だと、月に一度しかないから
そこに合わせて行くのは結構大変だと思うからだ。
Mercanticの骨董屋さんは、幅広くたくさんのお店の集合体なので
何時間でもいられるほど見応えがある。ありすぎるほどだ。
古本屋さんもあれば、レコードショップもある。
ガラクタ系の骨董もあれば、美術品のような骨董を売るお店もある。
照明器具だけのお店や家具屋さん、雑貨屋さん、、、ほんとに見どころ満載なのだ。
しかも、レストランやバルもいくつかあり
もし、我が家の近くにMercanticがあったら
私なら毎日通ってしまうだろう。そのくらい大好きな場所だ。
ただ、バルセロナの中心地からは少しだけ離れている。

先週訪れた時はクリスマス前ということもあり
たくさんの手作りの作家さんたちの出店が出ていて賑わっていた。
しかも冬だというのに、まだブーゲンビリアのピンクの花が生き生きとして
気持ちいいくらい青空に輝いていた。

骨董やヴィンテージの良さは
その色や質感の味わい深さだと思う。
新品はいつでも買えるけれど
古い色や味のある雰囲気というのは、そのものしか持っていないものだから。
出会った時しか買えないのだ。
これって、なんだろう?と思っているものでも
後でわかった時の感動というのもある。
そのものの物語が、買った後でもつづきがあるというのも面白さのひとつだと思う。
我が家にはいくつか、そういったストーリーのあるものがあるので
後日、紹介したいと思っている。
まぁ、とにかく古いものが好きなのだ。


○ 詳しい情報 ○
Mercanticメルカンティック
火〜土曜日 10時から20時、日曜日 10時から15時
カタルーニャ広場駅からFGCの電車S2またはS6に乗りVolpelleres駅下車、徒歩10分ほど
Instagram
住所 Avinguda de Pius i Taulet, 120, Sant Cugat del Vallés

谷崎潤一郎の陰翳礼讃を思い出して

確か20年ほど前のことだと思う。
月間の建築雑誌を毎月楽しみに読んでいた頃
谷崎潤一郎の陰翳礼讃についての特集をしていて
その雑誌の影響でその本を読んだことがある。
ちょうど茶道を習い始めたこともあり
使っていたお棗に螺鈿が入っていたので
暗闇にろうそく一本を置いて火をともし
そのそばに螺鈿入りのお棗を置いて
炎の揺らぎにあわせて螺鈿の輝きが変化する様を観察したことがある。
むかしむかしの日本人になって
つかの間の美しさを体験したのだった。
焚き火の炎をいつまでも見ていられるというのと同じように
この輝くゆれる色が心に焼きついた。

今朝、YouTubeにたまたま谷崎の陰翳礼讃に関するNHKの動画があって見てみた。
そうそう、厠(かわや)と谷崎の本には書いてあったけれど
トイレに関することが、とても興味深かった。
昔のトイレは家の外にあったりした。
私の母の実家が青森にあり、私が小学生になる前の話だが
その頃、まさに家の外にトイレの小屋があり
夜中にトイレに行く時は真っ暗な中、母を起こして一緒にトイレに付き合って行ってもらったことを思い出した。
田舎なので外はもう真っ暗で、トイレに行くのに懐中電灯なしではいけないほどの暗さなのだ。
足元を灯でともさなければ、トイレの穴にも落ちてしまうほどなのだ。
夜中にトイレに行くのが嫌なので実家に行くことが嫌だった。
そう、それで気がついたのが私のキャンプ嫌いのことだ。
キャンプも夜中にトイレに行くのが怖くて嫌だから行きたくないのだ。
もしかしたら、子供のころのトイレ体験があってのキャンプ嫌いなのかなぁと思ったのである。

ちょっと話はずれてしまったが
陰翳礼讃を読んでから、光と影に敏感になったように思う。
もしも日本が明治あたりからずっと鎖国をしていて海外との交わりがなかったとしたら
独特な家電製品が出来ていただろうなぁとか
いろいろ思い、想像するのである。

この動画に建築家の安藤忠雄が陰翳礼讃について語っている中で
彼が言っていた言葉でいいなぁと思ったのがこれ。
不便さの中に豊かさがある。
考えさせられるけれど、ポイントをついているなぁと思ったのである。

動画はこちら
NHK WORLD JAPAN
TANIZAKI JUNICHIRO on Japanese Aesthetics in Praise of Shadows